COSMIC BOX

文章を書いていたのに全部消えた!ひええ。

書いていた内容は、
・この時期(夏ではないけど窓を開けると夜涼しい)はエモい
・合わせてYUKIのCOSMIC BOXを聴くと更にエモい、特に冒頭のピアノのメロディがエモい
・なんでかというと、おそらく大学生のころこの時期に執拗に聴いていたから
・あと大学の近くの田舎の田んぼを自転車で漕いで大型スーパーに行ってたのもいとエモし
・要約すると「都会の満員電車マジ無理働くのも無理、大学生気楽すぎでしょーでもその頃も孤独感とか辛いことはあったよね、結局辛いことだらけじゃねーか」
です

短歌のない生活

「短歌をやめる」、「短歌をやめたい」についてうーんと思う。

こういうのは建設的ではないから書くほどのことでもないと思うが、ブログなので書く。


「短歌をやめる」の主成分は短歌行為(歌を作る、歌会に出る、歌を読む)への拒否で、「短歌をやめたい」の主成分は短歌を発表することや結社・歌会の所属、短歌にまつわる人間関係、つまり短歌関係を断ち切ってしまいたいということなのでは、と思う。


つまり切断したいものが違う。


さらに、「短歌をやめた」というのはまた違っていてやめた(状態)なので、


個人の意思

やめた(状態):(下記2つを切断済み)

やめる(予定):行為(自分の中のもの)

やめたい(願望):関係(自分の外のもの)

外部との関わり


ということかと思う。


例えば過去にサッカーを部活などでしいたら、その後数年サッカーをやっていない状態で「サッカーやめた」とは言わず、「やってた」とか「今はサッカーしてない」と言うだろう。

ここからわかるのは、「短歌をやめた」というのは発表したり人間関係を含む有機的な繋がりを断ちたい願望のことであり、表明であり、主張であり、しかしながら短歌は作る(発表する)/読むだけなら個人でも(理論上)できる行為なので、「やめたい」発言を見るとうーん、そう言われましても…と思ってしまうのだろうということだ。


私は今は短歌をやめたつもりはないけど、作る気が起きないし無理やり作ってもいまいちだと感じてしまうし読みたい!とも思わない。生活にシフトしている。

短歌を通して自分を癒したり社会との関わりを感じる時期が終わった、と感じる。


それにしてもスマホだと打ちづらい。あまりよくない。

エモおしゃれな呟き

エモおしゃれな呟き

エモおしゃれな呟きするとフォロワーが増えることはわかる。

 

たとえばこんなん

 

「小さい頃に行ったとしまえんのメリーゴーランドの照明 安堵と恐れ、懐かしいってふと思うのに距離がどんどん開いていくような 世界の薄い氷の上にいるようなきれいでつめたい時間 あれが本当に求めているものなのかもしれない」

 

「例えばなんの苦労もなく幸福に育ったとしてそれを非難する側の傲慢さをどこまで許容すべきだろうか 個々人の運命はそんな意図から外れているから無機質に魂の重さを測るだけ 見てろよ」

 

 

文章の特徴

・文の区切りは半角か全角空き

・もしくは読点を使わず節ごとに書く

・体言止めの頻度が多い

・ですます調と第三者文(であるでもですますでもない)の両方のパターンがある

・ときどき砕けた語を使う(特に文末)

 

※例です

としまえんに行ったこともない

※これに花や靴や空や風景や君の写真を添えると完璧

 

 

 いやどうだろう

 

終わり

『死にがいを求めて生きているの』感想

『死にがいを求めて生きているの』 朝井リョウ

 

この記事を読んで、私の知りたいことが書いてありそうだなーと思い数年ぶりにお金を出して本(小説)を買って読んでみた。

https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/ryo-asai

 

 

この本の中身を私の都合のいいように解釈し要約をすると、「何にも縛られず好きになれない、興味がない、生きがいがない人間は苦しいし困る、そしていかにして生きていくか」ということだと思う。(対立とか平成とか螺旋プロジェクトとかこの小説の幹はあるらしいが、知らん)

 

生きがいがない人間は苦しい、そしていかにして生きていくか。

 

このテーマは今思うと何度か私の人生で繰り返されてきたように思う。

(はい、以下自分にまつわる話です)

昔、何も好きになれないという人がいた。何も好きになれない。何にも興味を持てない。いや、一見その人はとても活動的なのだ。例えば成績は優秀で、さまざまな人と色々な活動をしたり、本をたくさん読んでいたり。でも、何も好きではない。それを私がどうにかできることはなかった。そのときの私は、自分のやりたいことにあまり疑いを持っていなかったので、好きなことがない人がどうやって生きていくべきかをかんがえてみたりもしたが、本当の意味で思いを馳せることはなかった。

 

 

その少しあと、私は大学院にいた。大学院には、自分の好きなことをしに行ったつもりだった。でも、他の人を見ていると私はそんなにその分野が好きじゃないのかもなぁ、と思うようになった。研究の面白さや楽しさは、自説を解き明かしていくことにあると思う。でも私は、その方法を追うことが苦痛で別に楽しいとは思わなかった。楽しいのはその調査に必要な土地や景色や人との会話であって、研究的な興奮ではなかった。土日は普通に休んで、服を買って、漫画を読みたかった。

 

 

それでも自分の好きな分野であることは変わらないと思い、研究のレベルと自分のレベルが合っていなかったと思うことにし、その分野に関わることで働くことにした。

仕事内容は、その分野に関係する新しいものを作る仕事だ。

最初のうちは変化と安定に安らぎを覚えたけど、毎日に苦しさも覚えるようになった。だって、やっぱり私はその分野に並外れた興味がないことがわかったし、安定しちゃうと新しいものをわざわざ作るモチベーションがない。つまり仕事にならない。これは困る。なので、私はモチベーションを持てない原因を探りたいと思って本やネットの文章をあれこれ読むようになった。

 

 

(自分の好きな分野の枠を外して色々と読んでいるうちに、自分はある分野について好きなのではなくて、理由や仕組みを知ることが好きなのかなぁと思うに至った(←イマココ))

(今のところの結論としては、「人間は社会的な生物だから、社会的規範がなくなると何をしていいかわからなくなるのは当たり前だし、大方の人間は特に何にも好きなことや生きがいをあらかじめ持っていない」というものと、「並外れた興味がないと突出できない、評価されないのも社会的な制約であって、だからこそそれを気にしない精神で居られる者は強い」の二つを考えている)

 

社会的規範というのは、つまりジェンダーやら地縁やら親戚やら今までしがらみと捉えられてきたもので、ある意味それは思考放棄してもよいことになる便利なルールだったわけだが、今の日本、特に若者?はそのルールがない。親戚づきあいも特にしなくていいし、守るべき家もない、トラウマも病気もない、どこにでも引っ越せるので地域のネットワークもない、お金もとりあえず困らない。だから、自分を規定するものがない。

 

じゃあ趣味とか作ればいいじゃん、ってなるけど、何にも、はまれない。だから自分でも苦しい。何にもはまれないと、「仕事」になんないから、困る。

 

…ということをドラマチックにダイナミックに急進的に先鋭的に書いたのが先の小説『死にがいを求めて生きているの』だと思うの。

 

これを解決するアイディアが小説のなかほどで紹介されるのだが、「高尚な生きがいを無理に求めなくてもささやかな好きな人の幸せを守る、じゃだめ?」というものだ。これには発動条件があって、①まず人を好きになる ②両思いでないと、短期間のうちに終了する というものだ。なかなか難しい。

 

 

しかし、解決策を開発できないでもこの小説によって「何にも縛られず好きになれない、興味がない、生きがいがない人間は苦しいし困る、そしていかにして生きていくか」という問題は非常にわかりやすく提示された。そのことにちょっとほっとする。

 

(あと、この小説の問題提起は例えばAIと科学が発達してやることなくなった人間の問題にまで発展するんじゃないかなーという気もするけど、それは小説の読みすぎかもしれない。)

獣ゆく細道

追記

サラリーマンの行進なんて何年も何十年も前からあったものだし、この「働き方に疑問を持っていて、そこでこの歌が響いてきた!」と言うこと自体は東京の8割くらい(推定)の人たちが繰り返し抱いてきたなんのおもしろみもなく陳腐な感想なんだけど、でもよく考えたらおかしくない?何十年も経ってるのにまだ行進してるのおかしくない?あとこういうことを言葉が被らないように詰め込みまくった歌詞もなかなかレアくない?というまとめだと思う。

 

 

椎名林檎宮本浩次の「獣ゆく細道」。

この曲、もう1行ずつ半紙に筆で書いて寺の掲示板みたいなやつに毎日貼れるんではないか?と思うほど頷ける言葉の組み合わせばっかりなので、私的頷きポイントについてコメント(メモ)していきたいと思う。

なんでかというと、やっぱ私が今の働き方に無理みを持っていて、「自分が思っているよりももっと深く、思考方法さえこの社会に規定されすぎていないか?」と恐ろしく思っているから、この歌が響いてくるのだと思う。

 

 曲の中に徹底しているのは「生は一度きり、生と死を逆転させたままではいけないと気づけ」というメッセージ。

 

 

(以下、歌詞は旧かな文語だけど文字にすると理解が遅くなるので聞いたままに書きます)

 

1番

いつも通り お決まりの道に潜んでる秋の夜

着膨れして 生きながら死んじゃいめぇかとふと訝る

 

 →

お決まりの道、というのは単にいつも通行している道の意味ではなくサラリーマンの通勤行進のようなもの、ひいては人生そのもの(決められたルート)という意味にとらえた。そしてその行進に潜んでいるのは、着膨れして寒さからではなく社会の鬱屈から身を守る自分。 そんな自分は生きていながら死んでいるのと同じではないか? 生命としては生きているが、個としては死んでいるのではないか、という疑問を持つ。

…まずこのフレーズ、これは私のことだよ〜!と思う。毎日東京の見るだけでうんざりするような会社への行進にせっせと参加しているし、3月なのに真冬と同じ格好してるいてまさに着膨れしている…。と、そのまますぎだなぁと思いつつ思う。

 

 

飼い慣らしてるようで飼い殺してんじゃねぇか自分自身の才能を

頭と体 まるで食い違う

 

 →

ここでも生と死についての疑問。「飼い慣らしている」と「飼い殺している」、「頭と体」は生と死の比喩。 

 →

頭と体:考えと行動がまるで食い違うということだが、それは真と嘘、本来の生と偽物の生(=死)が発生してしまっているということ。それを聴者に執拗に呼びかける。私はただそうですね、と心の中で同意する。

 

 

 

2番

気遣ってるようで気遣わせてんじゃ嫌だ自己犠牲のふりして

お為ごかし(おためごかし)か とんだカマトト

謙遜する前の単に率直な態度を誇ってたいと思う そう正体は獣

 

こっから先の歌詞は私的に全部わかりみのオンパレードなんだけど、ここでも生と死(真と嘘)がひっくり返ってしまっていることに疑問を持ち、聴者をぐりぐりとえぐってくる。すごいですね、そんなことないです、尊敬します、とか、なんかそういう美徳的なものっていつのまにかバレてるでしょ?捻れてるっしょ?と。

「気遣い(心からの思い)だったはずが本当は自分のためだとバレて逆に気を遣われるなんて嫌だ!」と今まで誰がこんなにストレートに言いあらわしてくれただろうか。しかも「お為ごかし」とか「かまとと」とか日常生活で使わないのによくこんな言葉引っ張ってきて組み合わせて使ってくるなー、すげえーと思う。

謙遜する前の単に率直な態度を誇ってたいと思う、なんてもう、これを1年くらいは毎日暗唱して拠り所としたいくらいだよ。

 

 

 

かじかんだ命でこそ成し遂げた結果がすべて

孤独とは言い換えりゃ自由 黙って遠くへゆこう

 

個人的思い入れ(仕事場が地下で寒くてマジで指がかじかむこと、完成のまだ見えない仕事をずっとやっていること)からもうほんとそれですよね…という感想。

結局、誰かに悩みを相談して何らかのヒントや転機になることもあるけど、毎回毎回グチるわけにもいかない。それに、なんやかんやうるさいことを言ってくる人のことなんか気にしないで誰も知らない景色を踏みしめる方が楽しい。

 

 

幸か不幸かさえも勝敗さえも当人だけに意味がある

 

→いやほんとそれ。

 

 

書くのが面倒になってきた。つづく(かもしれない)

 

友達について

新しく友達(または恋人でもいいんだけど)になるというのは、何か共通項がないとなれない・作れないことなのではないか、と思って少し悲しくなる。

 

学校や地域においては、強制的にそこにいることによって場所・時間・起こるできごとを共有していたら大体友達になれたと思う。もちろん部活や趣味で気があって友達になるというのもあるけど、ある種の強制力というかなし崩し的な友達が発生する余地があったわけで、趣味合わないけど友達だな〜みたいな人もいるわけで。

 

でも地域を転々として特に人数の多くない会社で生活してたら、趣味とか好きなことくらいしか共通項を以ってして関われる人物がいない、ということになる。だって生活と労働で1週間の7割くらい占めてたら十分にコミュニケーションをとってる時間ないし、そのなかでやる気になるもんといえば趣味くらいしかないわけで。

 

だから何が悲しいかって言うと、趣味や好きなことがない人間は友達ができないのか?って思いまして。あれ、でも友達がいないと悲しいんだったっけな。

 

 

システムについて

何回も「システム」について考えているし書くことになると思う。

 

最近流行っている退職エントリ。あれって別にIT業界だけではないけど、IT業界的な思考がベースにあるのではと思っている。

 

つまり、「今いる会社のシステムがわかりきってしまってつまらない/不満ややりたいことがあるけどそれは会社のシステムを壊さないと改善しないとわかってしまったから、退職するほうが早い」と思っての退職なのではないか?

 

んで、IT業界って他のどの業界よりも新しいことを個人が作れる(という思想がある)業界だと思う(知らんけど)。だから、他の人や会社のシステムの方が遅れて見劣りして見えてしまう。一方、既存の会社は十数年〜単位でそのシステムでやってきたわけだから、これからブラッシュアップしようと思ってもぬくぬくふとんのように抜け出せなくなっている。おまけにそれでまぁある程度稼げる。だからシステムを変えることはできず、退職を止められない。

 

「システム」って生態系とか機構とか仕組み言うのかもしれないけど、みんなシステムについてどのくらい興味があったり考えてるのかなぁ。

今知りたいシステムは、携帯とかインターネットの電波のこと。なんで無線でデータ送れるるんだろう!ふしぎ!