あー…

短詩は驚きと共感で読まれる、驚きの方にどっちかというと重きがあるんだけど今は共感が優勢の時代。

共感は、安心!やっぱり!っていう快感が得られる。驚きには変化が伴うから、今は変化してる余裕が無くて共感が優勢になる。


…とすると、私が短歌を離れてアウトドアや理系に楽しみを覚えてしまったのも、たとえば生物の分類はこうなってるんだ!とか森のいきものはこんなにおもしろいんだ!とか驚きが快感になっちゃってたからなのかー。と考えることもできるよね。


短歌で驚きがあるというけどそれを発見するためにはある程度の数を読まないといけないっていうハードルの高さはあるよなぁ

他の人の考え方をわかってみるとかこんなことも試みてやろうとか、途中にそういう楽しさを見いだせたら総合的に短歌が楽しくなるとは思うんだけど

あんまり検索とかしてここにたどり着かないでほしいんだけど、短歌作れない読めない問題と付随して最果タヒが読めない問題が私のなかにある。


短歌が社会ではなく世界を扱うジャンルなのだとしたら、最果タヒつまり詩のジャンルは異世界を顕現、幻視するものなのだろう(か?)


いや、それもよくわからない。なぜなら最果タヒの詩を読もうとしたところ目が滑って文の意味を理解することを頭が拒否した。


でもいろんな人が素晴らしいものとしていてこれは私に欠陥があると思わざるを得ない。

※実際去年あたりはそもそも本自体が読めない、文章を読みたくないという若干鬱前の症状があったからその余韻なのかもしれない。


短詩は普段の言葉の使い方(たとえば社会的に通じる文章)と違う読み方を読者に求める、つまり言葉の捉え方のフィルターをずらすよう読者に要求するので、そのフィルターと同じものを持っている人はいいけれど持っていないひとはわざわざなにかしらの苦労をしてわかろうとしなければならない。

もし前段で言った「詩は異世界を顕現するもの」なのであれば、社会で生き延びるのにあっぷあっぷな人には到底コストがかかりすぎて到達出来ないということになる。


しかし多くの人に支持されるということはみんなにとってはわかりみがあるということで…


うーん…



最近(半年くらい)短歌が読めない。作るほうも半年以上は作っていない。歌会も行っていない。私は自分のことばかりに興味がある、なんでこうなったのかが知りたい。


手始めにネットに落ちてる穂村弘のインタビューや対談をいくつか読み直した。

穂村弘が言うには短歌の存在価値は「(人間)社会」ではなく「世界」の枠で起こっていることを扱うこと、世界で起こったことへの感覚を扱うこと、なのだそうだ(意訳)。

短歌は「生きる」を扱っており、社会は「生きのびる」ことを扱っている。

世界とは、生きるとは、たとえば、ばななのひも状のもの。カルピスを飲むとできるおろろろ状のなにか。それについてんっ?と思うこと。


そして、そういうものを高度にギリギリのバランスでやっているジャンルとしてお笑いを穂村弘は挙げている。


(上記のこと、昔頭に入れた考えなのに忘れてた。こわい)


では、私が短歌を受け付けなくなっているというのは「世界」で起こったことと感覚についておもしろいと思うことが無くなっているからなのか。


それは逆に言えば社会に注力しているということで、確かに私は仕事に行って身を立てて生活することに頭を250%くらい使っていて、生きのびることにせいいっぱいで、もう世界について考える余裕がどこにもないのかもしれない。


短歌を1番作っていたのは学生の頃だ。学生なんて社会から守られて何も考えなくてサバイバルしなくてよかった頃だ。

私は社会に適応してしまったのか、そうか。穂村弘は社会に適応できなかったことを延々とエッセイに(それが作品として脚色されていたとしても)書いている。それが弱みでもあったが今ではエッセイストとして、また歌人としてのかなりの強みであるんだろう。


私の学生時代、田舎だった。それに生きのびることに困ってなかった。短歌は元手のいらない表現ツールであり自己承認欲求を満たすものであり歌会はコミュニケーションであり他人の歌はそこまで読まなかった、つまり短歌はとても都合がよかったのだ。私は非常に不誠実に(?)短歌を利用していただけであり歌人ではなかった。そういう意味では短歌を利用しない誠実な人間(?)に戻っただけなのか。短歌よ、今まですまんかった。


いやでも、それは、短歌から得た生きる/生き延びる、社会/世界という考え方を忘れてやめて生きるのは何か怖い。社会で楽しいということ、例えばニンテンドースイッチをやったり何か作ったりスポーツしたりってまるで普通ではないか。世界について意識することをまるで忘れてるではないか。それって人間っぽいのかな?まともなのかな?こわくない?


うああ。こわい。3ヶ月前も同じこと(何もしたくない)を書いている。


その間何してたかって、意外なことにレジャーですね。自然を満喫するレジャー。活動的か!


どうしたらいいんだろう。どうしたらいいの?土日の予定を全部決めるべき?止まったら止まっちゃうんだよ。転がったら転がったままでつらいんだよ。むずかしすぎるよ。

明日のやる気

明日のやる気がでない。


今日テレビを見ていたら、山奥の宿を営むおじいちゃんが「仕事をつらいと思ったことはない」って言ってたけど本当だろうか。


私は6割くらいはつらいんだけど。


あと、大学院生だったころめちゃつらいと思ったけどめちゃ楽しいという気持ちも同時に両立しておりその結果鬱になりそうになったんだけどそういう場合はどうなの。(人って相反する気持ちを同居させられるよね。精神やばくなるけど)




ひとつのものを作るのに(そしてまだ終わってないのに)膨大なエネルギーを取られる。そんなに利益は帰ってこないのに。効率よくないのに。

勉強だけしていればよかった中高がなつかしい。あのときは勉強のことだけ考えれば何も考えなくてよかった。よく考えたら私は生まれてからいつも何も考えていなかった。本も勉強も何も考えなくてすむためのものだった。今は仕事以外はそこまですることがないから、空いてしまうと考えないといけない。

椅子に座って、どこかへ行きたいけど行くのもだるくて座ったままだ、Twitterも見終わった、その先何もすることがなくて部屋をうろうろする、大丈夫か?


あと100日休みたいけど、休んだら沈んじゃうだろうな。




キーワード:なにもしたくない、やる気がない

何もしたくないことについての殴り書き

 

●経緯

昔は大学受験もしたし旅行やインターンや留学にも行ったので、自分からいろいろ自発的に行えていたなー

と思ってたんだが、最近はそういう自発的っぽいことをしようと思ってもめんどくさくなってやらないので、はて、昔は単にレールに乗っていた「自発」だったのかと思う

 

●現状と問題

現状:創作物に関わる仕事で、とくにノルマもなく、生活の危機に陥っていない

問題:今の現状では、

①休みの日に本当に何もしたくなくなって困る。何かしようとして迷って時間を無駄にする

②創作系補助の仕事だとインプットが減ると創作に繋がらないので困る(能力低下による食い扶持の問題)

③やりたいことリストはあるがとりかかるのがめんどく、罪悪感にかられる。

 

※じゃあ何をしてるかというと、ツイッターやネットサーフィンをして情報を目の前に流しているだけ。あと昼寝。

 

 

●考察

・虚空を2時間無になって見つめているわけではないし若干何かはしているので、「何もしたくない」とは違う?

 

・ていうか「ツイッターやネットサーフィンをしている」状態=何もしたくない悪の状態みたいに思っちゃっているが、「情報を目の前に流している」という点で「ゲームにはまっている」「ドラマを一気見している」「漫画を読んでいる」と本質的にはまったく変わらないのではないかと思う。

 

・「情報を目の前に流している」をもっと複雑したのが「掃除をする、料理をする」(体を動かす/状況判断をする)、「サッカーをする、会社で働く(体を動かす/状況判断をする/複数人とのコミュニケーションをする)」?

 

・ということは、行動の複雑さ(異なる行為の多重さ?)が無理なだけであって「何もしたくない」とは違う? 

 

・私の本当にやりたいことは「ネットとかの情報を垂れ流しにして眺めていること」で、ここを認めると①と③の問題について「そもそもの欲求を誤魔化すのはやめて楽になろう」、という解決方法になる。

 

・20年くらいは学校教育と家族という環境のなかにいて、主体的に生き方を考えなくても・考えない方が周りの思惑に沿っており生きやすかった。でもその両方が薄まっているのが今の環境で、思考パターンの変更がうまくできなくて苦しいのでは?

うーん。そうか、よく考えると学校教育と家族のセット環境から抜け出してからまだ3〜4年くらいしか経ってないな…

 

●解決方法(暫定)

・思考パターンはすぐ変わらないから今悩んでいる

・思考を変えるんではなくてやっぱ環境とか習慣とか半強制的なものに身を置いて思考を慣れさせるのが吉?

・そもそもやりたいことリストというのはイレギュラーな作業が多くてやりたいけど脳的にはやりたくないのかもしれない。

COSMIC BOX

文章を書いていたのに全部消えた!ひええ。

書いていた内容は、
・この時期(夏ではないけど窓を開けると夜涼しい)はエモい
・合わせてYUKIのCOSMIC BOXを聴くと更にエモい、特に冒頭のピアノのメロディがエモい
・なんでかというと、おそらく大学生のころこの時期に執拗に聴いていたから
・あと大学の近くの田舎の田んぼを自転車で漕いで大型スーパーに行ってたのもいとエモし
・要約すると「都会の満員電車マジ無理働くのも無理、大学生気楽すぎでしょーでもその頃も孤独感とか辛いことはあったよね、結局辛いことだらけじゃねーか」
です