日記と断続

小学3年生くらいから日記を書き続けていて、その型と頻度はその都度違う。

 

(最初の日記は、福袋に入っていたキティちゃんのノートで、6年生くらいまで2〜3日に一回は書いていた。中学生からは、たしかmidoriという文具メーカーの、動物が表紙のノートのシリーズで、これは4冊くらいある。高校生までこれに書いていた気がする。頻度はまちまちだが、受験に近づくにつれ1ヶ月ごととかになっていたと思う。大学生は、mixi。しかし、これはログインできなくなったため今となっては不明。そのころから、Twitterをやりはじめたので、もはやそっちで文は書き連ねている。平行して2、3個ブログを開設していたけどこれらももはやログインできず、ネットの海の中。)

 

型を変えながら、そして頻度も毎日から隔週、隔月、年に数回、というふうに遠ざかりながら、誰かに見せたり見せなかったりしながら、私はずっと書いている。

 

私は私を観測したくて、書いている。書くと思考を見直せる。整理できる。解決の手助けになる。もっと言えば、私は私が大好きで私のことをもっとよく理解したいので書いている。 

 

ここ最近(というかここ1〜2年)は、文章を書くことから離れて、短歌は歌会用以外には作らず、いや、歌会にもあんまり行かず、Twitterも昔ほど「ちゃんといいこと書かないと」とは思わず、ただぼんやりと過ごしていた。休日は、遊ぶか、寝るか、だらだらネットを見るかで満足していたし、それ以上の何かを何も必要としていなかった。「なにもしたくない」だった。

 

上向きの気分になれるときもあるし、わけもわからず鬱っぽくなるときもある。(たぶん季節性なこともあるけど)

 

なんで上向きの気分になるのかよくわからないけど、そういう自分のノリに乗れる時には乗っておこうと思う。このノリは、浮かんだり沈んだりするのでまた沈むと思う。ずーっとノリがある状態ならいいのになと何回も思ったが、私はそういう性質じゃないことがわかったので、もういらん期待を自分にかけない。

 

あと、文章を書くことについてずっとジレンマなのが、「実生活をさらす」ということ。

 

やっぱり実生活をさらさないよりもさらすほうがおもしろいと思う。例えば恋人のことだったり、職場のことだったり、家族のことだったり、子どものことだったり、実例はいちばんおもしろいでしょう。

でも危ないんだよね。プライベートをさらすのは。例えば本人にバレるのが嫌ならうまいことひた隠しにすればいいんだろうけど、そうすると感情や思考の元になった事案をうまく書けないし、オブラートにするのもめんどくさい。あーいっそ全部ゲロって楽になってしまいたいと昔から思っている。