土曜日まるまる一人の時間ができたので好きな惣菜を買い、米津玄師を聴き、酒を飲み、日記を書く気になった。
この1年音楽を聴いている時間と精神的余裕がなくなったので、ここ数ヶ月でリリースされた曲をやっと聴く。「1991」という曲があり、生まれ年なので嬉しくなる。米津が同級生なことに感動する。歌詞がシンプルでそのままで暗いのも嬉しかった。
米津玄師はけっこう「恋している」とか「恋していた」とか、わざわざ言う。「毎日が毎日すぎる〜」とか「今後もこの日々愛せるかな…」とかも言う(意訳)ので、大変だなー、でもわかるわーと思う。
/
この前、「歌集を読んだらおしゃべりしよう」で『これからの友情』を取り上げたのだけど、カットした部分の会話で、私があまり好きではない単語の選びや歌もけっこうあるという話があった。たとえばp.106の
ともばたらきの親ともだおれ 遠くから入道雲の音が聞こえる
とか、
魔法みたいな虐待だったんだ 傘もひっくり返せば水が貯められる(p.169)
通り魔はきみを選んだ そこにいるきみが良かった スロット777(p.172)
とか。
私自身がともばたらき民なので、ともばたらきの親ともだおれと書かれると「お前の母ちゃんデベソ〜」って言われたみたいでむっとしてしまった。虐待や通り魔なども、あまり短歌のために奉仕して使ってほしくはない言葉だな、と思った。
でも上から言葉どおりにとるんじゃなくて下の句も一緒に短歌としてを味わう方がいいと思うし、谷川さんが、そういったものや社会情勢の悪化や戦争などのことを短歌で歌う若い世代は増えている気がしていて、大事なことなのでは、と言っていて、確かにそうなのかもなあと思った。
ちょうど、3週間ほど前からイラン情勢が悪化していて、というかもはや戦争状態で、原油の調達が難しくなったりもっと思いもよらない生活になったらどうなるのだろうという不安な気持ちでいるのだが、テレビを見た感じや周りの人はさほどそうは考えていないようで、このことをまた思い出した。
うーーん、似たような、、やりとりが、、BR賞の選考会で書かれていた気も、、、
/
引っ越してからのこの1年はいろんな人と喋っておもしろいしちゃんと仕事もしているのだが、思った以上に疲れているみたいだ。あんなに漫画を読んでいたのに、この2ヶ月くらいは思い出したらアプリで読むくらいになってしまった。
短歌をつくるのも、生活と仕事ともうひとつ頭に「作る」ということを常駐させなければいけないので、だいぶなんというか、危なくなる。運転中に考え出したり、他の用事を忘れたりして、危ない。
そもそも疲れやすい、貧血なのもよくない。前も書いた気がするけど、定期的に焼き肉を食べたり鉄分を毎日摂取しないと、すぐ頭痛と倦怠感モードになってしまう。
今日食べた惣菜はチーズと、なんか鶏もも肉を醤油と砂糖でギュってさせた肉と、山わさびソースの野菜と、生ハムと、苺で、酒はライチのとろみのあるリキュールだった。