日記 スマホ2
前、スマホを見ないように時間制限を設けて上手くいっている、というような旨を書いたが、あれは嘘だ。
クリスマス・ソングが好きだ クリスマス・ソングが好きだというのは嘘だ
佐クマサトシ『標準時』
X、Threadsを無為に見てしまう。ついでに言うとAIにいろいろ聞いてしまう時間も追加されている。よりひどくなっている。誰かスマホを取り上げてくれ。
自分が好きだ 自分に興味がある グミが歯を押し返す力が好きだ
↑今井の作った短歌
『標準時』をまだ読んでいないけどクリスマス~の歌は頭に入っていた。影響されているかもしれない。読んでみよう。
日記 東京(2026年4月)
東京に来た。
今、お店が空くまでカフェで待っていてこれを書いている。昔だったら「せっかく旅行に来たしこのへんとりあえず歩いてみようかな~」と外に出ているところなのだが、来たことがある駅なので、「この辺ってまぁ…こんな感じの街だし…」と思ってしまいカフェに留まっている。
桜が見たくて東京に来たのもあり、ちょうど咲いているから歩いたら少しは見られて新鮮味はあるはずなのだが、「外に行った場合たぶんこんな感じなんだろうなー」という予想だけでもうお腹いっぱいになっている。
と、ここで、親や祖母が、スマホやネット回線の開通などの新しい機器の使い方に対応できなかったのは、過去に機械の使い方を習得しようとして疲れた経験があるからそれを思い出してもう疲れちゃっているならなのでは、と思う。
と、さらにここで、上記の考えを書いている(発散できる)ことが気持ちいいということについても考えが飛ぶ。わざわざド田舎から東京に来てチェーン店のカフェに入り書き留めるということが、桜を見ることより勝っている。
こうだなー、ああだなー、ということを頭に留めておくというのもまた脳のメモリの容量を食うことであって、短歌はそういったことを固めて、なんかとっておきたい石のように保存しておくことができる。時には宝石のように透明で輝いていたり、なんとなく持ち心地のいいただの石だったり。
理由のひとつだけど、この効能によって短歌を作ることをやめないのかもしれないな、と思う。
日記 土曜日
土曜日まるまる一人の時間ができたので好きな惣菜を買い、米津玄師を聴き、酒を飲み、日記を書く気になった。
この1年音楽を聴いている時間と精神的余裕がなくなったので、ここ数ヶ月でリリースされた曲をやっと聴く。「1991」という曲があり、生まれ年なので嬉しくなる。米津が同級生なことに感動する。歌詞がシンプルでそのままで暗いのも嬉しかった。
米津玄師はけっこう「恋している」とか「恋していた」とか、わざわざ言う。「毎日が毎日すぎる〜」とか「今後もこの日々愛せるかな…」とかも言う(意訳)ので、大変だなー、でもわかるわーと思う。
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この前、「歌集を読んだらおしゃべりしよう」で『これからの友情』を取り上げたのだけど、カットした部分の会話で、私があまり好きではない単語の選びや歌もけっこうあるという話があった。たとえばp.106の
ともばたらきの親ともだおれ 遠くから入道雲の音が聞こえる
とか、
魔法みたいな虐待だったんだ 傘もひっくり返せば水が貯められる(p.169)
通り魔はきみを選んだ そこにいるきみが良かった スロット777(p.172)
とか。
私自身がともばたらき民なので、ともばたらきの親ともだおれと書かれると「お前の母ちゃんデベソ〜」って言われたみたいでむっとしてしまった。虐待や通り魔なども、あまり短歌のために奉仕して使ってほしくはない言葉だな、と思った。
でも上から言葉どおりにとるんじゃなくて下の句も一緒に短歌としてを味わう方がいいと思うし、谷川さんが、そういったものや社会情勢の悪化や戦争などのことを短歌で歌う若い世代は増えている気がしていて、大事なことなのでは、と言っていて、確かにそうなのかもなあと思った。
ちょうど、3週間ほど前からイラン情勢が悪化していて、というかもはや戦争状態で、原油の調達が難しくなったりもっと思いもよらない生活になったらどうなるのだろうという不安な気持ちでいるのだが、テレビを見た感じや周りの人はさほどそうは考えていないようで、このことをまた思い出した。
うーーん、似たような、、やりとりが、、BR賞の選考会で書かれていた気も、、、
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引っ越してからのこの1年はいろんな人と喋っておもしろいしちゃんと仕事もしているのだが、思った以上に疲れているみたいだ。あんなに漫画を読んでいたのに、この2ヶ月くらいは思い出したらアプリで読むくらいになってしまった。
短歌をつくるのも、生活と仕事ともうひとつ頭に「作る」ということを常駐させなければいけないので、だいぶなんというか、危なくなる。運転中に考え出したり、他の用事を忘れたりして、危ない。
そもそも疲れやすい、貧血なのもよくない。前も書いた気がするけど、定期的に焼き肉を食べたり鉄分を毎日摂取しないと、すぐ頭痛と倦怠感モードになってしまう。
今日食べた惣菜はチーズと、なんか鶏もも肉を醤油と砂糖でギュってさせた肉と、山わさびソースの野菜と、生ハムと、苺で、酒はライチのとろみのあるリキュールだった。
日記 弁当箱
弁当箱の話をしていいですか?
会社にたまに弁当を持っていくのだが、弁当というかZiplocのタッパーに米と麻婆豆腐を詰めただけ、みたいな運用をずっとしていて、しかしある日、「もう少しまともな容器からご飯を食べてみたい」という気になった。
それはもしかしたら、仕事上Instagramを日々見まくって美意識が高まったせいかもしれないし、Ziplocのタッパーが普通に薄汚れてきたから我に返ったせいかもしれないし、あとは仕事に追われず弁当のことや料理について考えることができているからとかー、このまえ紺色の陶器の皿を買ったら果物でもなんでも映えて美味しく感じることがわかったからとかー、かもー。
ということでネットで弁当箱を探し始めたのだが、もっと他のこと考えた方がいいんじゃないかなレベルで弁当箱を検索して見まくってしまい、隙あらば弁当箱について考えるはめになった。
私は何か目的があって物が欲しいとなると、検索し尽くしたりお店の全フロアを見に行ってしまう癖があり、何かに活かせればいいのだが今のところ単に時間を浪費している感がある。
最終的に、ドラッグストアに行った際に見つけた(ネットでも見ていた)ネイビー系の4点ロック式の2段弁当箱にした。
・洗いやすい
・電子レンジ・食洗機可
・開けやすい
・漏れない
・映える
・あたためる容器とあたためない(サラダとか)用の容器が欲しい
の要素を今のところ満たしている。
(あのー弁当箱をまとめるバンド方式とかね、バンドなくすからね、無理だね。なんか染みたりするし…。曲げわっぱも映えという点ではめちゃ憧れたが、電子レンジ・食洗機可のやつの見た目の細かい部分が気になって不採用。でもいいやつをこんど買ってみたい)
そして、箸とランチバッグも同じように検索しまくることになった。
しまくった結果、1周して両方THERMOSのやつになりました。THERMOS。THERMOS…
私は高校生~大学生のときにTHERMOSの保温お弁当箱セットを持っていて、大層気に入っていたのだが、ある日間違って無意識に大学のごみ箱に捨ててしまった。自分でもびっくりした。
そこからタッパー運用が始まった気がするが、再び弁当箱に戻ってくるまでに10年以上かかってしまった。
読んでくれてありがとう、書いて満足した。
おわり。
日記 やりたいこと
やりたいことが多いのに手をつけられない。
まずスマホをやめたい。Xとスレッズを見るのをやめたい。時間を算出するためにはそこからだ。
Xを見ていると、おすすめ欄(のアルゴリズム?って言うんですか?)が投資の話ばかりで、投資をしたほうがいいのではないか、という焦りの気持ちになってくる。
東京と地方のどちらに住んだ方が幸福度が高いかとか、資産を増やすにはとか、何が年収が高い職業か、起業は副業は……みたいな、「選べなかった者が負ける」という価値観が立ち込めているように感じる。
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歌集を読んで、作品も作って、音声も編集して公開もしたい。
不思議と前ほど歌会をしたいという気持ちは湧かない。歌会というかzoom歌会かな。zoom歌会よりも(いや、zoom歌会が悪いわけでは決してないんだけど、今の私は)、できれば対面での歌会や、ただご飯を食べて楽しく喋るということをしたい。
生身で人に会って起こるいろいろなことが、死ぬ時に、自分が自分に持っていけるものなんじゃないかと思う。
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やりたいことがたくさんあって、でも毎日寝てしまったりして、な日々ではあるけど精神的にいい事な気もする。
ちょうど1年前くらいは絶え間なく仕事のことが気になっていて、土日も仕事のことを考えたり罪悪感に駆られたりして、でもどこにも行けなくて、というゆっくり弱っていく生活だった。
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谷川由里子さんにお願いして、「歌集を読んだらおしゃべりしよう」という活動を始めてみた。
この前、それぞれの自己紹介の回を録音したのだが、ひとつそこで言い忘れた。Q短歌会の第5号が谷川さん×山崎聡子さんのダブルインタビュー特集でとても良いのでぜひみなさんお読みください。
谷川さんがいかに多くの人を短歌に結びつけているかが、よりわかると思う。私は(具体的な箇所は忘れたけど)谷川さんが山崎さんの短歌を読みたいと思って行動した、的なくだりを読んで泣きました。
私も谷川さんによって短歌に接続させ続けてもらっている身なので、最近いろんな批評会や特集で谷川さんが引っ張りだこなのもわかるなーと思う。
おわり
日記 トレモロ
虚弱体質エッセイ『虚弱に生きる』を読んだ。
ここ数年、自分自身が頭痛や倦怠感や〇〇炎に悩まされることが多く、同じような人のお困り談を読みて~と思って、タイトルを見た瞬間予約した。
読んでみると、著者は私より数段体力がないようで、長時間座っているだけで体調を崩したり痔になったりと私なんて虚弱に入らないかなと思わされるレベルの「虚弱」だった。
ただ、読んでみて自分で意外だったが、そういった虚弱エピソードよりも、著者が「部屋の窓から差し込んだ朝日が畳に当たり、白い壁に小さな虹ができている時」のようなふとした瞬間に幸せを感じるようになった、という記述に一番感動した。
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「にじ」という童謡がある。
「にわのシャベルが 一日ぬれて
雨があがって くしゃみをひとつ
くもがながれて 光がさして
見上げてみれば ラララ…」
というような歌詞がスローテンポで抑え目なメロディに乗っている歌なのだが、なぜだかすごく感動する。
特に「雨があがって くしゃみをひとつ」「くもがながれて 光がさして」の部分の、場面と場面の間の置き方が、まるで自分がその場に居るような懐かしさと寂しさと嬉しさを感じさせる。
くしゃみをひとつ。くしゃみをひとつ…。
世界の時の流れをただじっと眺めていた瞬間に戻れたような気がする。
歌のゆっくりさ(BPM80)が、それを作り出しているのかもしれない。
最近、こんなふうに時間を感じているかなー?
朝起きて、急いで支度してとにかく仕事をしてご飯を作って食べ風呂に入り寝る、土日は何か刺激を求めて外出する、の繰り返しで、空いている時間にはスマホ(Xかスレッズかインスタ)ばかり無駄に見てしまう。
本を読むこともだいぶ久しぶりにがんばって行った、という感じで、インフルエンザになって時間がなかったら読み通せていなかったかもしれない。
楽しみにしていたRADWIMPSのトリビュートアルバムも、スマホでこの日記を書きながら聴いてしまう。本当は音楽だけ聴きたいのに。
本当は家のインテリアについて考えたり、物が多すぎる箇所を整理したり、美味しい料理を作ったり、歌集や本を眺めたりしたい。でも、すれらはすべてスマホの快楽に負けてしまっている。
深刻にスマホ断ちをするべきではないかと思うが、それ以上に脳がお手軽な心地よい刺激を求めてもいる。
日記 女児向けクッキー柄刺繍リボン
タイムラインに出てくる歌集の批評会やイベントを見ていると、友がみなわれよりえらく見ゆる日よ~となってしまい、「いやでも、まぁ私もちょっとはやってるし…」「でもこのまま30代が終わるのか」「リソース割けねぇ」みたいな、あたまがいそがしい気持ちになり、その連続でさすがに疲れてきた。
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『了解』のアーカイブ配信を(いまさらだが)見ており、見るのだが、3時間超か…とはなる。
やっぱテキストで読む方が頭に入りやすい。
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自分の癒しのためにNetflixのウェンズデーを観ているが、それすらもしんどくなったりして、ラスト2話を見ていない。
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『了解』の批評会を聴きながら思ったことメモ
・書くことで、テキストにすることで「心が宿り戻る」。(谷川さん発言)
・死にたい理由が書いていない(江戸さん発言)
・人間関係の歌集である(仲居さん発言)
・私小説に近い構造。社会的な私と仮想的私が干渉したり衝突したりすることが多くなってきた現代、だがそれで「平出奔」を生きることができるようになったのでは(←ちょっと怪しい覚書、鈴木さん発言)
私がこの歌集にフィットする理由は、
・私小説や日記が大好き
なのもあるけど、
・ほっとくと無になる(死にたいとは違う、何もかも最終的に面倒になり、興味が続かない)
・自分には興味がある
・他人は自分の輪郭や形を明確にさせる。だから人間関係は必要だし、欲しい
・テキストや視覚で物事を把握するほうが頭に入る
みたいなところなのかなーと思った。
私も歌集を作って自分に心を宿り戻したい。私を俯瞰したい。谷川さん言い得て妙だなー
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女児を養育してはいないが女児向けの髪飾り:木綿のリボンにクッキーの柄が刺繍されており、髪ゴムがついてるやつ を、「確保しておかなくては」という気持ちで買った。家にあるマイメロディのぬいぐるみにつけるからいいのだ、と思うことにしている。
おわり