日記 『4』

『4』(青松輝)を読んでいる。まだ5分の1くらい。

何度かチャレンジしていて、5ページくらいで断念しては読む、みたいな感じ。読みたくなる引力はある。

その引力は、青松さんがYouTubeをやっていてそれを私が見ている影響でもあるし、私の歌を引いてくれたことがあるからでもあるし、本人が多くの短歌にまつわるテキストを残しているから生まれているものでもある。それらのテキストを読むと、青松さんは相当短歌を読んでいるし、覚えているし、意識しているんだなーと思う。

 

私は早々に、歌集(テキスト)のみ読む行為で「この歌集は何をしたいのか?」を読み取るのをやめて、周辺情報の摂取に走ってしまったが、

 

既存の「短歌らしさ」「いいものらしさ」ではないものを

 

というのが、この歌集のテーマ…というか意識であることは、もはや本人がブログなどに作歌態度として書いてあるのでそうなのかな、と思う。

しかし問題なのはそれが私に何をどう及ぼすかであるんだけど、今のところ、(そもそも4分の1しか読んでいないけど、)あまり情動は動いていない…気がする。

 

私は短歌の(データベース的な意味での)蓄積が自分の中にないので、『4』に関して、既存の短歌をなぞった歌が複数ある(らしい)というのがどれのことなのかわかっていない点もあるんだけど、短歌でなくても言い回しをもじった歌が複数あるのはわかる。

最初はなんでそんなことするんだろうと思ったんだけど、「既存の「短歌らしさ」「いいものらしさ」ではないものを」が主軸にあるなら、そういうものがあってもおかしくないなと理解した。

 

 

対比的に、私の短歌の読んでなさが気になってくる。この歌とポルスカ みたいに、短歌を暗唱したりは私はできない。

自分の足りなさがたくさん身に染みてきて、人の歌に何か言うのが怖くなってくるなー