短歌をやめていないということと石井僚一は生きている歌会

自分のための気づきがあったので書きます!

 

5年2ヶ月ぶりに開催されたという、第十三回石井僚一は生きている歌会@札幌に参加した。

 

私から見た石井さんという人は、ほくたん(北海道大学短歌会)に同じ年に入った同期であり、彼の短歌経歴の初期のほうではいろいろと歌会も共にした、思い入れのある人だ。

 

石井さんはアクティブに歌会に出て、自分でもやる人だったと思うが、2019年くらいから短歌のリアルな現場からはいなくなった。『短歌研究』に「短歌をやめた日」という連作を発表していたくらいだから、びっくりした。

 

そんななので、歌会はけっこう緊張して、しどろもどろの自己紹介のあと自分のとった歌を披講するのを忘れたほどだ。

 

歌会とそのあとの話は省くが、そこから抽出された、私にとって書いておきたい気づきがあった。

 

それは、「私が自分で思っているより人を知り、また知られたいと思っていて、それには短歌の方法が好ましくて、だから今まで短歌をやめた気にはなっていなかったんだな」というのが腑に落ちたことだ。

 

今までもぼんやりと感じていたことだったけど、私にとっては私がなぜ短歌をやっているつもりなのか自分で謎だったので、はっきりと言語化して納得できた。

 

私はここ数年ろくに短歌も作らないし歌集も読んでなくて、歌会にも出ていなかった。

それこそ2019年くらいまで東京で「白いひぐま歌会」を共同主催していたが、もう一人の主催者である久石くんの引っ越しを機に、あるいは私が歌会をやる気力をなくして、それ以降は労働やら生活のフェーズが大きくなり短歌を思い出さない日々が続いていた。

 

だけど、あんまり短歌をやめたなと思ったことはなかった。

一方で、毎回短歌たのしー!って思っていないのになんで私は続けているんだろう、とずっと疑問だった。

 

この問いへの解はもう簡単で、さっきも書いたけど、私がまだ短歌の方法で人を知って知られたいと思っているからだ。どんな人なのか、どんなことを感じているのか知りたい。

それはずっと続いている。細くなったり弱くなったりもするけど、切れていない。だから、短歌をやめていない。

 

たとえば歌集を読んだら、その人と話すだけでは顕在しないその人がわかる。

歌会に出たら、普通の人との会話とも世間話とも違い、気が合って盛り上がるのでもなく、互いに短歌を通して何を思ったのか交換し、交差することがあると感じる。

短歌を作るのは、自分がどんな人間か知ることだと思う。(あと、自分をこえて短歌にしか見えない場所に行けることもある。それも不思議で、超越していて、おもしろい。)

 

短歌の時間は、家族との団欒でも、気心の知れた友達と楽しいおしゃべりでも、恋人との高揚でも、知的な探求でも得られない、人間と交わるひとつの方法として、今のところいちばん当てはまっている感じがする。どこか退屈なひとりな感じを忘れさせてくれる。純粋におもしろいというよりもう少し、へぇ、と思ってほっとするという感じだと思う。

 

短歌が楽しい…楽しいのだろうか? つまんなすぎる、と思いながら苦々しくやってきたことも多々あるのに、なぜやっているのかって言ったら、やっぱりそれは人を知りたいからだ、って解が一番納得する。

 

昔はそれが認識できていなかった。短歌を作りはじめた一番最初のほうは、なんかうまくできた気がして楽しいから作ってみているだけだった。歌会に参加しはじめて他の短歌の人も認識したころは、もう少し自分を知って欲しいという要求が強かった。まわりを見て、全然良く思えない!っていう気持ちが強かった。でも、そういう段階は過ぎた。

 

 

(で、こっから先はあまりまとまっていないのですが)

 

それで言うと、その人が見えないorその人に興味が持てない短歌活動はできない/できていなかった/これからもできないかもしれない。

 

石井さんにどんだけ人恋しいんだよ!って言われたけど、人なんか知るかーっていう人恋しくないときは、短歌はいらないかもしれない。

 

いや、どうだろう。うーん…。

 

(ほくたんに居た頃から、自然科学や社会のようなシステムについて知ることがとても楽しくなって、たとえば「虫ってどういう起源なんだろう」とか、「なんで資本主義になるんだろう」とか、謎解きみたいなのを調べたり考えたりするのが好きで、それと同じように人についても知りたいから短歌をやっている、っていう気もする。)

 

 

今まで、短歌を真面目にやっていないというか、私は歌人ではないよなーみたいな気がしていたけど、けっこうもういいやって開き直ってきたので、また何かできそうな気もしてきた。

 

でもとてもめんどくさがりやで気が散りがちなので、どうでしょうね。

 

終わり。