谷川さんと歌集と歌会について

 

ずっと月みてるとまるで月になるドゥッカ・ドゥ・ドゥ・ドゥッカ・ドゥ・ドゥ

(谷川由里子 『サワーマッシュ』より)

 

 

谷川さんにはとてもお世話になっている。よろこびを見つけるセンサーが私の100倍くらいあるすごい人だなあと思っている。

 

その谷川さんに谷川さんの歌集を送ってもらった(『サワーマッシュ』)。

 

サワーマッシュという意味はよくわからないが、サワークリームみたいな意味かなと思って、うーん意味はわからないけどスカッとしそうなさわやかな語感でいいなと捉えた(ほんとうはよくないのだが。。。)。

 

わざわざ送ってもらったのだからなにかお礼というか、アクションをしたいなと思って数ヶ月が過ぎた。しかし私は歌集を読むのが苦手である。批評はもっとむりである。だから、日記形式で一首引用しよう、でも好きな歌とかこれはと思った歌を引用しようと思うと何年かかかりそうだな、目に止まった歌を引用しよう、それに関わるような関わらないような文章を書くやり方でやっていこう、とまで思った。

しかしまたまた、これは逆に私が義理を果たしたいだけで不誠実なやり方なのではないか、苦手でもこれはというものを選ぶことが大事なのではないか、と考えたけど、そうやって迷って何も選ばないうちに明日死ぬかもしれないからまあいいやということで自分を納得させて今書いています。 

 

ずっと月みてるとまるで月になるドゥッカ・ドゥ・ドゥ・ドゥッカ・ドゥ・ドゥ

 

この歌は歌集の一番最初にあって、谷川さんにとって大事な歌なのだと思う。前半の、ずっと対象物を見ているとまるで自分もそれと一体化したような感覚になる、というのはわかる。ドゥッカ・ドゥ・ドゥ・ドゥッカ・ドゥ・ドゥ とはどういう意味だろう。

意味がわからないまま読むと、なんかとても陽気なかんじがする。わたしは少し苦手な感じだ。なぜだろう。たぶん「ドゥ・ドゥ」だ。馬を乗りこなすときの擬音「どう、どう」とか、アメリカの子ども向けの歌(日本語訳バージョン)の中にありそうな小さい「ゥ」の字面からくるイメージだと思う。

 

ここまで書いて、やっぱり短歌は一人で一首評を書いて完結するだけではもったいなさすぎる文学形式なのかな、と思った。

もし歌会があれば、「ワシにはドゥッカ・ドゥ・ドゥ・ドゥッカ・ドゥ・ドゥの意味がわからぬ。なんか陽気な気がするけどちょっとにがて。終了。」で終わらずに、他の人の評や歌集単位での比較などによって補完しあえたり理解が生まれたはずだ。

 

私が東京に出てから、谷川さんと堂園さんが開いているガルマン歌会にはとてもお世話になった。東京に出てきた最初のほうにとてもつらいことがあって、何かやることがないととても破裂しそうで身が持たなくて学生歌会などに道場破りのようにいろいろ参加してみたのだけど、ガルマン歌会もそのひとつで、行くところがある、予定があるということ自体に大変助けられた。

 

もう今日は時間が来たのでおわります。